トップ  >  クラブ名「むらさき」の由来

 「紫草(ムラサキ)」はここ武蔵野を代表する名草で、夏に白い花を咲かせます。

 その昔、この根を紫色の染料としました。推古天皇時代、冠位の最高位を「紫」と定め、それ以来高貴な色とされました。

 

 1990年11月、わがクラブの創立にあたり、高貴なクラブであれとの願いをこめて、当時の秋山ガバナーが「むらさき」と命名してくださいました。

 

 ムラサキは古今和歌集に「むらさきのひともとゆえに武蔵野の、草は見ながらあわれとぞみる」と詠まれ、この紫草の根から染料を採り、古代の冠位や服色の制度が定められて以降、最も高貴な人の衣服などの色とされ、一般の使用が禁止されていました。

 今では、“幻の花”と呼ばれる「ムラサキ」も奈良時代にはその栽培が諸国に奨励され、「ムラサキ」の紫根が朝廷に上納されていたという記録が残っています。

その昔は、北海道から九州まで日本のいたるところで見ることのできる花であったのです。

 下って、江戸時代には、紫色はいわゆる「江戸紫」の名で呼ばれるほど、庶民の人気の的になりました。例えば、助六の額にきりりとむすばれたいなせで“粋”な鉢巻のように「江戸紫」はは一つのファッションとしてもてはやされました。江戸近郊の武蔵野の農家では、「ムラサキ」が盛んに栽培され、紫根の問屋や紫染めの染物屋など「ムラサキ」関連の産業は、江戸近隣の重要な産業の一つになっていたのです。根から赤紫色染料が採れ、特に武蔵野のものが有名でした。

 また、「ムラサキ」は解熱・解毒剤として効き目があり、切り傷、火傷などの薬草としても知られています。

 大正の頃まで広く多摩地区に自生していました。時の移り変りとともに今では「幻の花」と言われひっそりと咲くばかりです。しかし、文明開化とともに化学染料が用いられるようになり、紫根染めもすっかり廃れてしまいました。微かに京都・岩手・秋田などのその伝統が残されているのみとなりました。

 今、「ムラサキ」は絶滅に瀕しています。何しろ栽培が難しいのです。(都市化による自然の破壊と後退が大きな原因)野の滅びゆく野草を愛情をもって何とか守りたいものです。

 

江戸の名物:「武士、鰹、大名小路、広小路、茶店、むらさき、色紙、錦絵、火事に喧嘩に中っ腹」

 

「むらさきのひともひとえに武蔵野の、草はみながらあわれとぞ見る」

古今和歌集(913年 紀 貫之・他、初の勅撰和歌集)

(美しい紫草があるために、武蔵野の草はすべていとおしくおもわれるよ)

“みながら”= 全部または残らずの意味

この歌は、源氏物語における「紫のゆかりの物語」の源泉となった有名な歌。

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東京調布むらさきロータリークラブ

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